定義付け

親の定義とは、子の可能性を可能な限り広げてあげること。なので子に制限をかけるなど親の資格剥奪。

結婚の定義とは、お互いの人生に責任を持つこと。持てないのであれば結婚などするべきではない。ちなみに僕は「責任持ちきれねーよ」と思ったので迷いなく離婚に踏み切りました。

大人の定義とは、自分の責任で生きること。他人のせいにして生きる年取っただけのガキの多いこと・・・。

ところで世の中には、自分の同意なしに親が勝手に自分をこの世に産み落としたとして、両親を訴えるという「反出生主義」という考え方があるらしい。

メチャクチャな言い分のような気もするが、確かに同意なんか得てはいない。

もしも生まれてくる前に自分に選択肢があったらどうだろう?

「生まれてもいいけど親ガチャ外れて小さいうちに虐待死の可能性もあるよ。」

「歩道歩いてるときに上級国民の運転する車が突っ込んでくる可能性もあるけどそれでも生まれますか?」

ってなったら「いや、生まれなくていいです」って答えるだろう。

映画「seven」でモーガン・フリーマンが「若い頃子供を産まないという決断をしたが、今でもその決断は間違ってはいなかったと思う」って言うシーンがある。こんな酷い世の中に子を産むべきではないと。

そして「でも、もし違う決断をしていればと思わない日はない」と。

そんな事言われたら「それでも子を持つ」という理由を明確にしなきゃいけなくなった。

そして僕なりに考えた子を持つ理由、一つは可能性。世界を破滅させる悪になるかもしれないが、世界を救うヒーローになるかもしれない。可能性に賭けてみる価値はある。

もう一つは子育てを通してでしか学べないことによって親が成長するため。どっちにしろ結局親の都合。

それでも子を持つ理由がやっぱり親の都合ならば、親孝行など要求する立場にない。親孝行は生まれた瞬間に達成されている。

それより産んだ親の責任として借りを返さなければならない。

僕なりのそれは環境を整えてやること。足かせや重荷なしで人生のスタートラインに立たせてやること。

日本社会では大学新卒カードを持たせることでやっとチャラ。その覚悟で今までやってきた。

だから年取ったら親の面倒見ろ!とか、婿を取れ!とか、俺はパチンコやめる気はないから大学は諦めろ!とか言う奴には聞くに堪えないあらゆる罵詈雑言をもって人格否定してやりたい位の気持ちでいる。

そんなことしても意味ないからしないけど。

なので何が何でも大学卒業まではなんだってやってやる。違法なこと以外だけど。ブラック企業にだって勤め続けてやる。

ブラック企業って解ってて勤め続けるのは違法じゃないよね?

ってな感じの決意表明的な奴でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA