そもそも論

確か、この終活日記では「孤独と共に生きて楽しく暮らす」のが目的だった筈だが・・・。

前回の日記で「好奇心を持って積極的に人と関わる」なんて言い出してる。

独り身をこじらせてしまったか?

人間関係の煩わしさからの開放が僕を自由で楽しい人生へと導いてくれるのではなかったか?

「人は一人では生きられない」だなんて、はなっから人を当てにしようと言う奴の口実だと思ってきたが、やはり人と関わらずに生きるのは無理があるのか?

実はこの間の入院生活である疑似体験をした。入院したての頃は快適そのものだった。

本は読み放題だし、ブログは書けるし、猛暑の真夏に空調の整った部屋に居られるし、三食据え膳だし、体重も血圧も落ちて健康になっていくし、相部屋のおじいちゃんは節度をわきまえてるし、眠くなったら何時でも昼寝出来るし、いつまでも居られるって思ってた。

ところが10日を過ぎたあたりだったろうか?段々と元気が無くなってきた。ボーっとしてきてやる気も出なくなってきた。

その内、大嫌いなはずの高校野球を無感情で眺めるまでになっていた。

聞いた話では退職を迎えた後、割と早い段階で認知症になったり、ぽっくりと逝ってしまうなんて割とある話らしい。

これがそれか!入院生活をしてみて解った。外にも出ず、人との接点も持たず、刺激の少ない日々を過ごしてるとこうなっちまうのか。

この間会社を定年退職したお爺ちゃんが、未だに元職場の仲間に電話をかけてきて、忘年会どうするか問い合わせしてきてるらしい。

職場にしか居場所が無かったが故、定年後の孤独に耐えられないのだろう。哀れな話だがそれ程に孤独とは恐ろしいものなのか?

人間は社会性の動物。やはり”一人では生きられない”は本当なのか?

いや,脳科学者の中野信子氏は「機械化によって人と関わらずに生きていけるいい時代になる」ってなことを言ってたな。

個体が弱いが故に集団で生活せざるを得なく、その為に社会性を身につける必要があったと。

機械化が進みインフラの整った世の中では人を頼らずとも生きていける為、孤独でも充分に楽しむことができる筈だ。

ならば積極的に人と関わるなんて、無理する必要など無いのではないか?

でも僕一人の力じゃ物足りないし、人にくっ付いてる幸運にありつけない。これがジレンマと言うやつか。

人生ってやつはなかなか思い通り行かないもんだ。

なんて考えてたらふと息子が中学生の時、先生にあれもこれもやれって言われて混乱していた同級生を見て、「ちょうど良くやればイイじゃん」って呟いてたのを思い出した。

おっしゃる通り。どうもゼロイチで考える癖が僕にあるな。全振りとか、一括投資とか、一極集中とか・・・。

資産運用の基本は、「長期、積立、分散」だったな。人生にも役立つ奴かも。お金の勉強してるくせに解ってない。

はい、ちょうど良くやります。人を当てにしないスタンスのまま、僕のような変わり者の相手をしてくれる人には誠意を持って接していきます。

そして何時か退屈な人生から脱獄して天を仰ぎながらシャバの空気を味わいたいもんだ。

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