脱獄計画

運とは人にくっ付いているもの。人が運んできてくれるもの。だから「運」だそうで。

若い頃から僕にとって周りの”人”は、厄介事を持ってくる面倒な存在でしか無かった。

なので今まで人付き合いを避ける傾向があった。

お陰様でず~っと友達が少ない。ってかいない。”友達”の概念にもよるが・・・。

若い頃、友達の少なさがコンプレックスとなって、もっと社交的にならなければと悩んでいた。

そんななか、森田一義氏の「友達なんていらない」という言葉を聞いてかなり救われた。

社交なんて向いていないのだ。不得意で苦手なのだ。これもHSPの仕業か・・・?

それに気づいて以来、上辺だけの付き合いのできる薄情な人間になることが出来た。

なので僕は色んな人に嫌われているだろう。でもそれは社交的にならなければと思ってた時でもそうだったに違いない。

そう、僕は嫌われ慣れているし、それを良しとしている。

しかしこの能力にはメリットがある。人目を気にしなくて済む。嫌われないようにあれこれ気を使わずに済むのだ。

これはHSPの症状の緩和に役に立っている筈だ。

そんな僕にも呑みに誘ってくれる友達がいる。付き合いが長いので僕の嫌な部分にも目を瞑ってくれているのだろう。

堪忍袋の緒が切れ無いことを祈らずにいられない。

ところでタイトルとかけ離れたかに思える話をしてきたが、要は前回の無期懲役からの脱獄の話。

米国高配当ETFの配当金で少しばかり快適なムショ暮らしを保険にしつつ、ワンチャン”自分を変えてくれるエピソード”を人が運んでくれる「運」に賭けようって作戦。

厄介事を避けるかわりに全てを自己責任で自力だけで生きるって方針を転換し、誰かの幸運に乗っかろうって魂胆。

それが脱獄に繋がればめっけもん。

考えてみれば運には”幸運”と”不運”がある。今までは人が運んでくる不運を嫌って、幸運を遠ざけてきた。

嫌、幸運も享受してきた。実は僕は運がいい方。大した努力もせず割りと夢が叶ってきた。

無神論者のくせにアスリート界の”ブラックジーザス”に触れたこともある。やっぱり人が運んで来てくれた運によるものだ。

「出会いは大切にしなくちゃいけない」島本和彦氏の言葉だ。言葉自体は大したことないのだが、この言葉に至ったエピソードがすごい。

シカゴのチームと契約したバスケ選手が空港で迎えを待っていた。近くで他の客を持つドライバーがいた。お互いに待ちぼうけを喰わされていた。

ドライバーが「何なら俺が乗せて行ってやろうか?」そう声をかけたのがきっかけで彼はマイケル・ジョーダンのお抱えドライバーとなったそうだ。

ポンデリングみたいなライオンは「裏切られる可能性も理解した上でそれでも性善説で人を信じる」のが運を掴むコツ、と言っている。

でも、人によってもたらせれる不運に対して致命傷にならない仕組みも必要、とも言っている。

がぁくちょう〜、それが難しいから困ってるんだよ〜。

まぁ、いざとなったらスパッと切り捨てる薄情さを持って、好奇心を持って人と積極的に関わって見ても良いんじゃない?

とは言え、薄情さは持ち合わせてはいるが人と関わることが不得意で苦手で向いてない僕がどうするってぇのか?

そもそも幸運を運んできてくれるような人との接点すら無い。

”棒に当たる”狙いでウロウロ歩いてみるか・・・。

待ちぼうけが出会いに繋がるかも?だしね(^_-)-☆

・・・ん? あれ?

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