自白

この間、お金の勉強をしようとYou Tubeを見ていたら、ポンデリングみたいなライオンが、楽しそうな口調で幸せそうに「生まれ変わってもまた人間になりたいですね」って言ってた。

「ギクリ」とした。何故なら僕の口からは絶対に出てこない言葉だからだ。

そう、僕は(減刑は望んではいないものの)二度と繰り返したくもない”無期懲役”のような人生を消化しようとしてるだけ。

少しばかりの種銭を米国高配当ETFに突っ込んで年金の足しにして、いくらかマシな老後を送る事を目指している。

これでは正に「Get busy dying」ではないか?

そう認めざるを得ない。違法な恫喝による取り調べ受けずとも、いとも簡単にゲロってしまった。

自分を誤魔化そうと言い訳や弁解をした所で無駄だ。そんな事しても「また人間に生まれ変わりたい」なんて言えない。

まずい。このままでは満足して笑って死んで逝くなんてできる訳ない。未練と後悔にまみれて死に逝くのか。

でも実は大抵の人はそうなのかもしれない。今しかできないことを今楽しむべき、と解ってはいても日々の生活に流されて「いつかは」なんて思いながらもできず終い。

ミスチルの「天頂バス」って曲に「自分を変えてくれるエピソードをただ待ってる木偶の坊」という歌詞があるが、正に僕のこと。

懲役刑のような仕事のせいか? 幼い頃チャップリンの「モダンタイムス」という映画を観た。

工具でボルトを締め続けるだけの作業を繰り返すうちにその動きが止まらなくなり遂には上司の顔まで締めてしまう。

それを見てライン工なんてやるもんじゃない、と思った筈なのに・・・。

退屈な仕事を繰り返してりゃ、諦めモードになるのもしょうがないのか。大人になっても人生はしんどいものなんだな。

いや、そうは言ってもで僕は別居を開始した時から”無期懲役からの脱獄”を計画し、進めているではないか。

映画「ショーシャンクの空に」で、アンディ・デュフレーンは19年掛けて脱獄し、雨の中天を仰いだ。

僕には何年掛かるか分からないが、諦める訳にはいかない。

こうなったら木偶の坊なりにとことん悪あがきをしてやろうではないか。

問題は”どうやって?”って事だ。これからのわらびーの活動に期待しよう。

そして何時か僕も「また人間に生まれ変わりたい」と心の底から言えるようになりたいもんだ。

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