笑い

中学1年の時だった。ホームルームかなんかで、自分の長所と短所を書け、ってなった。

短所はすぐ出てきたのだが、長所が出てこない。なんかあるだろうと考え込むが全く出てこない。マジで出てこない。

見るに見かねたオバちゃん担任が「お前にも良いとこあるじゃないか、楽しそうにいい笑顔で笑うじゃないか」

はぁ?笑顔が長所だと?それ、マジで何もない奴に使う最後の慰めじゃないか?

優しい嘘は人を傷つける。ピュアだったわらびー少年の心に深い傷が刻まれた。じんわり涙が浮かんでいた。

時は過ぎてアラサーになった頃、mixiっていうSNSでマイミクが僕のことを紹介する欄に「いつもニコニコ、アンパンマンのような存在」ってなことを書いてくれた。

僕のことを紹介する文章で笑顔のことを書くってことは、あの時オバちゃん担任が言った「笑顔が長所」はあながち慰めでもなかったのか?

十数年の時を経て、わらびー少年の心の傷は癒やされた。

たしかに僕は人が笑ってるのが好きだし、自分も笑っていたい。僕の母親もそうだ。割としんどい人生を送ってきてるが、笑顔は絶やさない。

そして僕は物心つく前から笑ってたそうだ。そう言えば僕の息子も同じく物心つく前には笑ってた。

これは完全に遺伝だな。僕は良いものを受け継いだ。

話は変わって、若い時に観た学園ドラマの一話が記憶に残っている。余命数ヶ月を告げられた女子高校生が自暴自棄になって生きる意味を教師に問う。

だが教師は誰もまともに答えられない。そこで主人公の教師が「笑うために人は生きている」と。笑うとは人間にだけ許された特権。だから笑うために人は生きていると。

その後学校の行事で漫才を披露する。その生徒は冷めた目で漫才を眺めていたが、やがて笑顔が溢れる。そして彼女は最期を迎えるまで笑って過ごした。

「人は笑うために生きている」この言葉だけ聞くと無理のある答えだが、実際に行動で示して納得させてしまった。

この一話だけ何故か記憶に残っている。

また話は変わって、「Richard says goodbye」って映画を観た。ジョニー・デップ主演。

余命宣告を受けて、やんやかんやあって最期を迎える。観終わった直後は、「いまいちだったなぁ」ぐらいの感想だった。

でも後からなんとなく映画を振り返ると、印象が変わってきた。

冒頭いきなり余命数ヶ月を言い渡され取り乱す。そっからまぁ、なんやかんやあって徐々に死を受け入れていく。

いよいよ死が間近に迫ってくると、妻に感謝と別れを告げ、最愛の娘にも病を告白し愛を伝える。

それを終えるとペットを連れて車に乗りあてもなく走り始める。一般的には家族に看取られてってのが理想な気もするが、リチャードは姿を消す。

泣きながら車を走らせるが丁字路で停まる。右へ行くか、左へ行くか。すると笑い始め、真っ直ぐに進み道のない草原へと消えていく。

最初に観たときは自嘲気味の笑いだと思ったのだが、思い返すとあれは人生を肯定する笑いだったのではないかと。

存分に自分の人生を生ききった充足感からくる笑い、そう思えてきた。

監督がどういう意図であの笑いを演出したのかは分からないが、この解釈で観るとこの映画は僕的に素晴らしい作品と思えるようになった。

涙を流しながら別れを惜しむも家族に看取られることはせず、最後の最期は自分の好きなようにする。そして人生を悔やむこと無く肯定して笑いながら死に逝く。

もしかしたらこっちの方が理想の最期か?

最後にもう一つ。世界的に活躍するコメディアンは、ユダヤ人と黒人に多いそうだ。どちらも歴史的に迫害を受けてきた人種。

笑い飛ばすことで苦難を乗り越えるしかなかった。乗り越えるために身に付けざるを得なかった笑うという能力。なのかなと思う。

ここで「あした死ぬかもよ?」ひすいこたろう(ディスカヴァー・トゥエンティワン)に出てくる東日本大震災直後の被災者の言葉を紹介したいと思います。

「悲しんで下を向いてたって何も始まらない。いまは前を向くしかない。ウソでも笑える人は前へ進める」

幸い僕は母から受け継いだ笑うという能力を持って生まれてる。この能力を存分に活かして生きて死のうと思う。

そしてできれば他の誰かも笑顔にできたら良いなぁなんて、今、思いました。

おわり。

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